2011年3月16日水曜日

津波その後

(津波の被害でネットが使えなかったため、3月13日の記事を投稿します)

こちらでも日本の地震後の被害状況が刻々と放送されていて心配が増しています。地震津波そのものよりも原発のニュースが駆け巡り、ダーウィン研だけでなく、大家さんやエージェントの人、パン屋さんにまで、「日本は大丈夫か、家族は大丈夫か」と聞かれます。現実感がないというのが本音ですが、まあ大丈夫、としか答えようがありません。

それに比べたら些細なことですが、地球の裏側こちらでも津波はそれなりの被害をもたらしました。昨年のチリ地震よりも被害は深刻だそうです。
私はたまたま島を出ていたので何事もなかったのですが、振替のフライトが最短で5日かかるといわれ、いつもお世話になっている旅行会社の方に無理を言ってどうにか翌日の臨時便のフライトで、大混乱の中、島に戻りました。

沿岸の通りは砂が堆積し、銀行と数軒のホテルが営業できない状況です。仙台のように勢いのある波が襲ったわけではなく、じわじわと2mほど潮位が上がったようです。壁の黒い線まで海水が押し寄せたらしく、後始末に追われていました。しかし今のところ海水につかった植物も青々としていますね…

ちなみに16日からフィールドを予定しているサンクリストバル島では、港の向きがここと逆で日本からの波に面しているので、ここよりもはるかに高い波が襲ったようです。本当に調査に行けるのか心配です…

ところで無理を言って臨時便を抑えてもらったのには2つわけがあって、1つは次のサンプリングの日程が迫っていること、もう1つはキトで大学関係者3名のお客さんと合流していたので何としても彼らのガラパゴス滞在期間を確保したかったこと(彼らの分は通常のルートで手配しているので振替は容易だったのですが、非常事態の中、通常の手順通りに入島できるとは思えなかったので)。案の定、出発前も到着後も大混乱だったので、一緒の便にしてもらって本当に良かったです。(ありがとうございましたm(_ _)m

というわけで、予定より1日遅れましたが、ようこそガラパゴスへ。
薬学、化学、博物館学の専門家の方々です。視点が違うのでこちらも勉強になります。

後日談:
津波は1m77㎝、それなりの強さで押し寄せたらしく、ブロック塀や木道を押し流し、まだ復旧できていないホテルがあります(3月18日現在)。
写真は直後だったので植物が青々していましたが、日に日に干からびて枯れてしまいました。やはりスカレシアは塩水ダメみたいです。
サンクリストバルは予想に反して、街では全く被害はなかったように見えます。なぜかはわかりません。

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