2011年3月27日日曜日

春分の日

¡ Hola !

ようやく家のネットが復旧しました!ここのところ、何か不都合があるとすべてTsunamiのせいだと言われて、なんだか責められているような気分になっていたのですが、今回のは単に島の山頂付近にあるアンテナが壊れていたとか…(絶対に津波のせいじゃない!)まあメデタシです。

さて、日本では昼と夜の長さがちょうど12時間ずつの「春分の日」を過ぎ、これからどんどん昼が長くなっていきます。そんないわゆる「春分の日」の正午、こちらで見られた光景とは…



何かおかしいですよね。
そう、春分の日には太陽がちょうど赤道の真上にあるので、正午には影がほぼなくなってしまうのです。

ついでに最近のフィールドワークで感じていること、それは「正午前後は日中で一番仕事がしやすい」。
正午前後には太陽はほぼ真上にあるので、頭と肩さえ日よけしておけば余計な日射を身体に受けることがなく、体温の上昇を抑えることができます。こんなこと、日本では絶対にありえません。今は一年で一番暑い季節(といっても日本の夏ほど過ごしにくくはない。ただ日射が強すぎるだけ)なので、早朝、正午、夕暮れが仕事にはベストです。

昼間には、ハンモックに揺られてゆっくりシエスタ…が一番のようです。
¡ Chau !

2011年3月21日月曜日

卒業おめでとう!

昨日3月19日は大学の卒業式でした。
今年は地震の影響で全体の式典が中止、祝賀会も中止、という状況で、卒業生たちには気の毒ですが仕方ありません。
今は一刻も早く就学環境が整い、新入生を迎えることができるよう願っています。

さて、私も一応大学教員ということで今年度は3名の卒研学生(環境エネルギー工学科1名、情報ネットワーク工学科2名)を受け持っていたわけですが、3名とも無事に卒業することができました。生命科学研究室第2期生です。
(本当なら全員で撮った写真が送られてくる予定だったのですが、学科ごとに授与され、肝心の拠点となる教室が立ち入り禁止のため、3人で会えたのかどうか…)

とにかくみんな、よく頑張った。私が地球の裏側にいることでこれまで学生たちには数々の不自由をかけてきたわけで、仕上がったものを見ていると本当に感慨深いです。

<卒論タイトル>
Taga:ガラパゴス諸島在来Passiflora4種の形態学的考察と分類の再検討
Takizawa:ガラパゴス諸島在来Passiflora4種の系統的位置付け
Inagawa:ガラパゴス諸島固有ヤドリギの系統的位置付け

時間が押してしまってデータとして不完全な部分がありますが、そのあたりは今後詰めていくことにして、ガラパゴスでの成果が少しだけ出たことにも少し安堵…です。要旨は、後日生命科学研究室HPにアップします。

とりあえず、お疲れさま。必死にやっていた最後の頑張り、一日70通にもなったメールのやり取りは忘れません(笑)。ちょっと遅くなりますが、卒業祝いは9月に戻った時にやりましょう。

¡ Enhorabuena !

2011年3月16日水曜日

津波その後

(津波の被害でネットが使えなかったため、3月13日の記事を投稿します)

こちらでも日本の地震後の被害状況が刻々と放送されていて心配が増しています。地震津波そのものよりも原発のニュースが駆け巡り、ダーウィン研だけでなく、大家さんやエージェントの人、パン屋さんにまで、「日本は大丈夫か、家族は大丈夫か」と聞かれます。現実感がないというのが本音ですが、まあ大丈夫、としか答えようがありません。

それに比べたら些細なことですが、地球の裏側こちらでも津波はそれなりの被害をもたらしました。昨年のチリ地震よりも被害は深刻だそうです。
私はたまたま島を出ていたので何事もなかったのですが、振替のフライトが最短で5日かかるといわれ、いつもお世話になっている旅行会社の方に無理を言ってどうにか翌日の臨時便のフライトで、大混乱の中、島に戻りました。

沿岸の通りは砂が堆積し、銀行と数軒のホテルが営業できない状況です。仙台のように勢いのある波が襲ったわけではなく、じわじわと2mほど潮位が上がったようです。壁の黒い線まで海水が押し寄せたらしく、後始末に追われていました。しかし今のところ海水につかった植物も青々としていますね…

ちなみに16日からフィールドを予定しているサンクリストバル島では、港の向きがここと逆で日本からの波に面しているので、ここよりもはるかに高い波が襲ったようです。本当に調査に行けるのか心配です…

ところで無理を言って臨時便を抑えてもらったのには2つわけがあって、1つは次のサンプリングの日程が迫っていること、もう1つはキトで大学関係者3名のお客さんと合流していたので何としても彼らのガラパゴス滞在期間を確保したかったこと(彼らの分は通常のルートで手配しているので振替は容易だったのですが、非常事態の中、通常の手順通りに入島できるとは思えなかったので)。案の定、出発前も到着後も大混乱だったので、一緒の便にしてもらって本当に良かったです。(ありがとうございましたm(_ _)m

というわけで、予定より1日遅れましたが、ようこそガラパゴスへ。
薬学、化学、博物館学の専門家の方々です。視点が違うのでこちらも勉強になります。

後日談:
津波は1m77㎝、それなりの強さで押し寄せたらしく、ブロック塀や木道を押し流し、まだ復旧できていないホテルがあります(3月18日現在)。
写真は直後だったので植物が青々していましたが、日に日に干からびて枯れてしまいました。やはりスカレシアは塩水ダメみたいです。
サンクリストバルは予想に反して、街では全く被害はなかったように見えます。なぜかはわかりません。

2011年3月12日土曜日

地震お見舞い

東北沖で発生した地震は、こちらでも大きなニュースとして報道されています。「Tsunami」が国際用語なのを実感します。
大学でもかなりの被害があったようですし、実家も、家も心配です。
心よりお見舞い申し上げます。

日本でも報道があったようですが、こちらエクアドルでも津波に対する非常事態宣言が発令され、ガラパゴスでは避難命令、空港封鎖など慌ただしい雰囲気です。
私はちょうどキトに用事があって島を出ていたのですが、今日のフライトが全便キャンセルされ足止めされています(ので無事です)。キトの空港も大混乱、普通に手配すると振替は4日後、という状況のようです。

午後5時に2mの予想だったのですが、今のところ大きな被害は報告されていません。遠く日本の災害が、地球を回ってこちらにまで影響を及ぼしています。地球は丸くてつながっているんだなあなどと悠長なことを言っている余裕はありません。地球の裏と表の心配を同時にしているので頭が痛いです。

引き続き余震が続いているようですので、くれぐれもお気を付けください。

2011年3月6日日曜日

フィールド調査in FLO(4)

今日はParte Altaへ向かいます。朝8時、約束の通りホテルの前で待っていると、やってきました、PNGの公用車、の荷台に人がたくさん。マイラもいます。キャビンに乗れ、といわれていざ出発。いやー、楽しそうだから荷台でいいのになあ。

車は乾燥した砂ぼこりの道を一路、山の方へ向かいます。窓の外にはさっそくPhoradendron。なかったら帰りにここでとればいいや、と思っていると風景が変わりました。湿潤になって緑が生え始めます。農業地帯をごとごと超えて、終点、Asilo de Paz。マイラはずんずん進み始めました。たぶんさっき通り過ぎたCerro Alielliの方が標本多く取られていると思うけど?
…彼女についていくと、とってもへんな地形の丘へでました。溶岩が風化して壁状になっている間を進みます。

おもしろーい。どうしてこんなになったのかなあ。変な植物もちらほらいます。アナナスの仲間、これそのうち食虫植物に進化したりして。ぐるりとルートを回ると、岩屋の跡が沢山出てきました。そうか、この島はガラパゴス諸島で一番はじめに人が住み始めたといってましたが、今ある乾燥した港の集落ではなくて、自給自足できる湿潤な高地に定住したのですね。おっと、岩を掘って顔のモニュメント。やさしい顔立ちです。

下っていくと、今度はガラパゴスゾウガメの保護地域がありました。ここのゾウガメたち、今まで見た中で一番穏やかな顔立ちをしています。なんか「フロレアナ」のイメージにピッタリです。…でも、本来のこの島のゾウガメはすでに絶滅しており、ここでは(おそらく近縁の)イサベラのカメを導入しているらしい。絶滅した理由を思うと、いつもとても複雑な気分になります。何の抵抗もしないこのカメを、食料として絶滅するまで食ってしまった人間。非意図的であるとしても、他の生物を持ち込んで間接的に絶滅させた人間。自分がその地球最強の侵略者の一味であるという事実…。

さて、まだ植物はとれていません。今日はできたら4種、でも正確に記述があるのは2つなので、まあぼちぼちいきましょう。ここから街に向かって下ります。
あっというまにPhoradendoron。でも他の島では至る所に出てきたP. suberosaがまったくありません。ようやくP. suberosaを見つけるも、ほんのわずかな区間でなくなってしまいました。広く分布していると思っていたのですが、環境によるすみわけをかなり厳重にしているようです。

かわりに歴史が古いからなのか、かなり外来種が道端に出てきています。
ハデハデなイモムシがいたり…
マイラの仕事場、山の圃場でグアヴァをもいで食べながら歩いたり…これって動物散布なのでは…
くす玉のようなきれいな外来種の豆をみつけたり…
たくさんたくさん寄り道をしてながら、完全に枯れ果てた道路までようやく降りてきました。

あまりにもカラッカラ過ぎて、やっぱり緑の茂る季節を想像することはできません。この先対象種があるとは思えなかったので、通りがかりの満員のツーリストのバスに拾ってもらい、ほっと一安心…なのもつかの間、希望通りにバスの後ろについている荷台によじ登ったのですが、ものすごい砂ぼこりで、どのタイミングで息をすればいいのかもわからないくらい。梯子を握りしめて立っていても、手以外どこにも接触していないほどのジャンプ!そして着地。巻き上がる砂で目もあけていられない始末。。。ごめんなさい、荷台ナメテマシタ。カメラもGPSも、荷物にも自分にも全てに砂が堆積し、ようやくわずか2キロの移動が終わりました(まだ目が痛い)。

しかし今日といい昨日といい、この島は本当に面白い。マイラ、ありがとう!今度は緑が茂ったら来るね。Physalisとりに…その時の風景が、ほんとに楽しみです。

PS。「1週間電話線が死んでても、誰も困らない謎」の答え。
1)島の外からの用事がある人は、携帯を持っている。島の中にしか用事がない人は、連絡はすべて無線機。=固定電話はイラナイらしい…
2)この島では、夕方4時から夜中の12時までしか、発電していない。昼間はならないんじゃない?

PS2.
帰りの船はまたツーリストボートの空きに乗せてもらうわけで…13時に港に来いというので12時半から待っていたのですが、待てど暮らせどくる気配がありません。私の隣でペリカンが、座り込んで目を閉じて寝だしても、まだくる気配がありません。結局3時間ほど炎天下の港で船を待ち続け、ようやく帰ることができましたとさ。もうイライラもしなくなってきました。爬虫類になれるのもあともう少しです!?

ペリカンは瞼が下から閉じる。そういえば爬虫類もだ。いつから、そしてなぜ上から閉じるようになったんだろう???

<FLO採集記・完>