2011年7月30日土曜日

オープンキャンパス

7月30・31日は本学のオープンキャンパスです。
ガラパゴス諸島へ実習できた学生さんが、自然科学科フィールド系のブースにてガラパゴスについて説明&このブログに載せているすべての写真のスライドショーを行っていますので、ぜひ見にきてください(^-^) 

フィールド系の研究に興味のある学生さんと、来年春に大学でお会いできるのが楽しみです。

2011年7月27日水曜日

Estoy en el Herbario(4)

3回シリーズでこの話を終わるつもりでいたのですが、急遽所変わって日本の話をします。

標本庫には、自然史学者の宝と夢が詰まっている。という話をしました。
どこの標本庫にも、その地域独自の宝と夢が詰まっています。そしてそこは過去から現在までの地球環境を保存しているという意味で、人類全体にとっての財産であるといえます。

しかし東日本大震災ではそんな標本庫にも容赦なく津波が襲いました。たとえば陸前高田市立博物館では、博物館自体が倒壊、職員は全員死亡か行方不明、当然標本は流失しました。これまでコツコツと50年以上も貯めてきた貴重な標本が一瞬でなくなってしまった…この損失はいかばかりか計り知れません。

4月中旬から岩手県立博物館職員を中心として瓦礫撤去と標本の救出が始まりました。そしてどうにか発掘された標本が、現在全国のネットワークを通して各地の博物館職員の手によって修復されています。標本の状態は潮をかぶっていたり、土砂で埋まっていたりとひどいものが多いのですが、どれもかけがえのない標本です。




濡れて1か月以上も放置されていたので、カビが出たり破損していたり… コンディションに応じて試行錯誤。


→標本レスキュー作業の様子はこちら。
◆ひとはくブログ(兵庫県立人と自然の博物館)



→こうして修復された標本の展示が、各地の博物館で行われています。
◆「津波被害にあった標本を救おう」展(兵庫県立人と自然の博物館)

他にも、本学知識工学部が大学パートナーシップに入会している国立科学博物館(上野)でも常設展の一角で展示が行われています。学芸員課程の科目を履修している学生さん、自然科学科の学生さんにとっては非常に貴重な機会ですので、ぜひ見に行ってください。後期開講の博物館学(3)にも関連します。

このような被災標本のレスキューは世界初。この修復技術の蓄積は、今後の災害への貴重な情報になるはずです。
もしも、ですが、私が大学院生時代の希望通りに博物館に就職していたら…16年前とは違う方法でもまた、災害支援に関われたのではないかと考えさせられました。


さて、ダーウィン研の標本庫も標高0mに建っており、昨年のチリ地震の津波でも今回の地震の津波でも直接の被害はかろうじてなかったものの(職員の公舎や一部の研究棟は被害を受けた)、いつ被災してもおかしくない状況にあります。もしこのガラパゴスの貴重な財産が失われでもしたら…
ここは地震や台風などの自然災害が多くない土地柄なのであまり危機感もないでしょうし、移転はさすがに検討してはもらえないだろうけど、でもこれだけ甚大な被害を受けた日本国から来ている人間としてなんらかの提案だけはやってみようと思います。大事な財産を未来に継承していくことは、この業界で仕事をしている研究者の使命ともいえますから。

最後に…
今回の災害では非常に多くの人命が奪われ、街も壊滅的な被害を受けました。しかし人間だけでなくそこに住む多くの生物たちも、この津波で深刻な被害を受けていることを忘れないでください。海に瓦礫が流れ込み、浅瀬に棲む生物たちは無事に生きていられるでしょうか。陸地の大きな改変の後には外来種がいち早く定着するでしょう。在来種は戻ってこられるのでしょうか。自然環境の回復なしに、人間の真の復興はありえません。なぜなら、人間の生活の基盤は自然にあるからです。今、関係各所は生物多様性を維持・共生しながら復興を目指す方法を模索しています。目先のことも大事ですが、長い目で見てより良い復興がなされることを願っています。

被災された方と被災地の、一刻も早い復興をお祈りいたします。

資料協力:兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員 布施静香博士

2011年7月25日月曜日

Estoy en el Herbario(3)

そんなこんなで毎日引きこもっての作業ですが、ここではっきり言います。この仕事、関われて本当に幸せです。
もしここに来て間もないころにこの仕事ができたら、私のこの一年、もっと充実したものになっていたでしょう。何しろGeneralにガラパゴスの植物を知っておくと、見えてくるものが違ってきます。道端にあるいつも見る植物に、ある日突然名前がつくのです。知らない人とすれ違ってもなんとも思いませんが、知人とすれ違ったら挨拶する。それくらい毎日が違ってくるんです。

そして、収蔵標本の中にも、身近な人たちがいることに気づきます。
イサベラの農業地域で、なんか見たことのある連中がいるなぁ、と思っていたら、ご本人様だった…

これはビワ(Eriobotrya japonica)です。中国南西部原産らしいですが、学名がjaponica、へえ~~~。そうだったんですね。
「パティ、これjaponicaだよ。イサベラで見たことある。」「へー、日本からなんだ。ここではIntroduceだけど、そんなにActiveじゃないから大丈夫!」
よかったー、これで日本からのが侵略的外来種だったりしたら、申し訳なくなっちゃいます。


「パティ、これ、日本の固有種だよ!」「へえ!日本の固有種なの!?なんて名前?」「ハイドランジア マクロフィラ(Hydrangea macrophylla:アジサイ)」「これも観賞用にイサベラに入ってるね」「うん、見た見た。この属の他の種は花が白いのが多いんだけど、マクロフィラだけは色がついてて、しかもこれは咲き始めから枯れるまで色が変化するから『七変化』って呼ばれてるんだ。シーボルトがヨーロッパに持って帰って、いろいろ品種をつくって…云々…」

お昼時、パティのご主人(国立公園職員)と、彼らの家に滞在中の研究者と4人(+子どもたち)でご飯を食べているとき、パティが「今日、日本の固有種の話聞いたの!」としゃべりだします。「なんていったっけ学名…」「ハイドランジア」「うん?」やはり文字を見ないと難しいのかなと思いながら話は進み…

また標本庫に戻っての作業中、「さっきの固有種、Once more」「(標本を指しながら)ハイドランジア(ラにアクセント)」「あー、OK、イドランヘア(ヘにアクセント)ね!」
はい、確かにスペイン語読みではそうなります。

なるほどーーー。だから最初の頃、英語でしゃべっているはずがなんも聞き取れなかったわけだよね。と改めて思ったのでした。

とにかく、毎日知らなかったことを1つ1つ学んでいく。ものすごく気力も体力も要りますが、充実しています。


そして…
「これ、分類変じゃない?」「え、どれどれ、、、」
ときどき昔の標本の中に、明らかにおかしな分類をされているものを発見します。
あーでもないこーでもない調べつくして…「やっぱこれはこっちだね!」「だよねー」となると、名前を付け替えることになります。

すごい!張り替えられたラベルに注目(読めないですね…)。「Det.: Jaramillo, P. & Kurata, K.」ダーウィン研の標本庫に、私の名前が残るなんて!


標本庫には、ガラパゴスの宝と、自然史学者の夢が詰まってるのです!

2011年7月21日木曜日

Estoy en el Herbario(2)

早々に困ったことがいくつか。


まず、外国人の書くアルファベットって読みにくい。知ってる単語なら見当もつくけれど、新種記載をしたことがあるなどかなり慣れている人以外には「文字の羅列」に見えてしまうラテン語の学名を探し出すのはなかなか大変です。


次に、植物学的に解説されている唯一の手がかりであるガラパゴスの本は1971年に出版されたものなので、その後の分類体系の見直しと学名の変更、それ以降に入ってきた外来種などは本を見てもわからない。


さらに日本人的にいつも和名を使ってしまうので、たとえばマメ科=FABACEAEとすぐに出てこない。おまけに使っている本はすべて英語かスペイン語表記。日本語なら容易に出てくる生物学用語が不自由…。

やはり世界で通用する方法で知識を集積しておくことは大事なのですねえ。

パティと二人、黙々と作業を続けます。時々パティが奇声を発するのは、探して観察して調べて比べて、何をしてもわからず、もうだめかと迷宮入りする直前に、特定できたとき。そういうときは顕微鏡をのぞきに行くと、嬉しそうに説明してくれます。たとえば…


普通に見るとこんな感じの植物。A or Bどっちだろう?となったとき…Aは「植物体のあらゆるところに花外蜜腺をもつ」と書いてある、ので顕微鏡をのぞくと…


おおおっ。蜜腺から出ていた蜜がそのまま乾燥している。まるで、小宇宙ですね。
そして、以前に採られた他の標本もこれが観察できたので、じゃ、これはA!ということになります。

こうやって作業を続けていくのですが、やはり簡単にはいきません。花粉の形を比較したり、毛の有無を調べたり、その毛の形態を比べたり…図書館へ行ってエクアドル本土や南米各国の植物図鑑を借りてきたり、ネットで検索したり海外の友人に論文を送ってもらったり…本当に地道な作業です。形態形質が少ないイネ科、カヤツリグサ科、シダの仲間なんかが同定できたときには、それこそ小躍りするくらいうれしい。へえ、よくみると結構種ごとに違うのねー。これまで「イネの仲間」「カヤツリグサの仲間」「シダの仲間」と一括りにしててゴメンナサイ。


どんなに一日頑張っても、せいぜい特定できるのは8つか9つ。そりゃあこれ、一人でやったら2か月かかるわなぁ…


つづく。

2011年7月17日日曜日

Estoy en el Herbario(1)

「標本庫(Herbario)」という場所には、あちこちで採られた沢山の標本が、きちんと情報を載せて、整理されて収蔵されています。ダーウィン研にももちろん、部屋は小さいながらもガラパゴスで採られた沢山の標本が収蔵されています。

私のような客員研究員には、General collectionと言われる、いわゆる「あったことを証明するためにとりあえず採っておく」という行為は許されていません。しかし「何年に、どこに、何があったのか」という情報は、今後何百年にもわたって記録し続けていかなければなりません。そうでないと、環境の変遷を見たり今後の様々な研究へ支障をきたすからです。標本整理は地味ですが、研究の基本中の基本、継続的な科学のための重要な仕事なのです。

さて、ある日標本庫に用事があっていってみると、同僚のパティが、山のような標本に埋もれて何やら作業をしていました。

「これ、1月に2週間かけてフロレアナ中歩き回った時のCollectionの山!もう、一人で同定作業やってるから大変。二か月はかかるわぁ…」
「…手伝ってもいい?私、この仕事すごい重要だと思う。しかも、客員研究員にはできない仕事なんだよね」
「ほんとに?ほんとに手伝ってくれるの!?」

飛び上がりそうな勢いで喜ぶパティ。いやいや、こちらこそありがたいです。自分の研究対象以外の標本を触ることができるなんて。

こういう仕事はまとまった時間が必要なので調整して、約束の日。防寒着と乾燥対策(標本庫はカビや虫の発生を抑えるために寒くて乾燥しています。虫やカビにとってだけでなく、人間にとっても過酷な環境…)を万全に、作業に臨みます。


まず、パティがフィールドで採った記録(フィールドノート)と標本を照合し、

パティの経験に基づく「アタリ」を頼りに、これまで採られている標本を探します。
類似の種がないか、1000ページもある「Flora of Galapagos(Stanford Press, 1971)」を引きながら、形態形質の確認をします。
これが標本庫に籠るときの七つ道具(カメラ、時計、メガネ、水筒、パソコン、Flora of Galapagos+筆記用具)。あと、首からライトルーペを下げています。

これだ!と確信が持てたら、標本に名前を付けて…
私の仕事はここまで。あとの情報入力、台紙へ張ったりする処理は、ワーカーさんがやってくれます(もちろん訓練を受けたスタッフ)。

むしろ…私がこの子の名前、決めちゃっていいんですか?そんな作業やらせてくれるの???
一応わたくし、Doctora Botanicaなので、信用してくれているんですね。ありがとうございますm(_ _)m

でも、大学院で京都に移ったとき、関東の見慣れた植物ではないものが沢山あって、わからないと思うことが多かった。ましてやガラパゴスをや……

さらに、実は系統分類屋だといいつつ、標本の収蔵作業はゼミでやっていたものもの、自分で同定する責任ある作業はやったことがなく…

などと言っている場合ではないので、とりあえず作業開始です。


つづく。

2011年7月13日水曜日

フィールド調査in ESP(3)

パロサントの反撃
パロサント(Palo Santo, 聖なる枝、Burusera)はガラパゴスの植生の象徴的な1つともいえるほどComonな樹です。ガルア季の間はまったく葉を落として白い枝がまるで枯れ果てたかのように山を覆っていますが、雨季の間だけ、青々とした葉をつけています。

この樹、よく藪漕ぎをする時に折ってしまったりするのですが、奴らは黙っていません。
ここにきて、これまで10年来特に支障なく使ってきた装備が、ここまで汚れちゃしょうがないな~的なものになってしまいました。パロサントの反撃です。パロサントは芳香の油を含んだ樹液を出すので、それが至る所にシミをつくり…ああぁ。これ、どうやっても落ちるようには見えません。ま、いっか。作業着だし。


トレッキングシューズ

トレッキングシューズだって大変なことに。
ガラパゴスに来る直前に買ったはずの夫のトレッキングシューズ。エスパニョラから帰ってきたらこんなになってました。靴底は熔けて、力がかかる部分のパーツがちぎれてなくなってる!?すごい、さすが鬼の洗濯板です。こんなに靴がすぐにダメになる場所、聞いたこともありません。あらためて靴って大事だよなぁ、と思うのでした。


トリダクティ。

エスパニョラにはどうしてもほしかったパッシフロラの仲間、P. tridactylitesがいるはずです。エスパニョラ島東部に上陸し、目玉焼きになりかけながら歩いていくと、そこには目的のものが…

多賀君(もうブログ見てないかなぁ)、これってすごくない?これは誰がどう見てもtridactylitesだよね?suberosaと同種なんかじゃないよね???
…卒論データをもう一度精査しなおして、何とかやってみます。今回は花も取れたし!花もちょっと違う感じがするのですよ。

そんなこんなでとりあえず無事に採集は終了しました。
「ね、Albatrosってどこにいるの?」「あっち。」
…取りつくしまもありません。あわよくば春分の日を境にエスパニョラ島でのみ営巣するガラパゴスアホウドリを見せてもらってから帰ろうと思ったのになぁ…
ま、しょうがない。(実はそんなに体力残ってもないし…)撤収~。

サンタクルスまでの3時間、ほぼ全部爆睡してどうにか持ちこたえました。それにしても風化の進んだ島は、本当に危険がいっぱいです。あとどれくらいしたらあの島は、海底に沈んでいくのでしょうか?そのとき、Albatrosたちはどうするのでしょうか?サンクリストバルに営巣地を移動するのかなぁ。

それにしても赤道の殺人的な紫外線&赤外線、命がけのフィールドでした。 

ESP採集記・完>

2011年7月8日金曜日

フィールド調査in ESP(2)

目玉焼きができる!?「鬼の洗濯板」溶岩

エスパニョラ島は諸島の一番東のはずれ。つまりもっとも成立年代が古く、約500万年前にできたとされる島です。標高は200m程度なので、風上側ですが雲が湧かずに雨もほとんど降りません。足元に広がるのは、風化してとても攻撃的なエッジが立っている溶岩。手をつくと突き刺さります。かすっただけでひどい擦り傷です。まさに「鬼の洗濯板」とでも名付けられそうな様相。…しかも太陽に照らされて目玉焼きができそうな温度になっています。これは転落でもしたら即OUT!慎重に一歩一歩踏み出すも、照りつける日差しでやはり意識が朦朧としています。。。
肩から滑り落ちた一眼レフのフードが、岩にヒット!深刻なダメージはありませんでしたが、えぐれたような傷が残りました…


不思議そうに覗き込むマネシツグミー「警戒心の欠如」

ふと気づくと、不思議そうに私の顔を覗き込む人が…
エスパニョラのマネシツグミは、それこそダーウィンの時代から好奇心が強く人に寄ってくることが報告されていました。どの島より近く、手を伸ばすと乗ってきそうなところからこちらを眺めています。実際に人の帽子に載ってきたり、ひもやボタンをつついたりすることもあるそうです。
ダーウィンはこれを「警戒心の欠如」と指摘しました。警戒心がなくては生存に不利なはずなのですが、もともとその環境に居なかった対象に対しては長年経っても警戒心を持つことがない、ということだそうです。もともとガラパゴスの動物たちは人間をそれほど恐れません。法律に守られていて人間に傷つけられたりしたことがないからだと解釈していたのですが、これは経験に基づくもので、遺伝的なものではありません。ダーウィンの指摘していることはむしろ遺伝的というか、本能で警戒心を持たないことを意味しているのだと思うのですが、どうなのでしょうか。動物の先生、お願いします。


フィンチのヒナ囀る・アオメバト岩を歩く・イグアナ泳ぐ

この島も、人は長期のクルーズで一瞬寄るだけしか認められておらず、しかも上陸地点はこことは全く別の場所です。つまり研究者以外ほとんど人は入ってないわけで。
生まれたばかりのフィンチのヒナ。まだ目も見えず、親が餌を持って帰ってきたのと勘違いして鳴き始めました。

アオメバトは、焼けた溶岩の上を素足で歩いています。なんでそんなことができるんだろう。よっぽど丈夫なのかなぁ。
そしてイグアナが泳ぎます。ぜひダイビングで、イグアナが食事をしている風景を写真に収めたいなぁ…と思ってしまうわけです。

それにしても紫外線がきつくて暑すぎて写真を撮る余裕もなし。1歩を踏み出すだけで精一杯。その1歩が繋がっているからたまたま「歩いてる」んだなぁとぼんやり思ったりします。人生における毎日みたいなもんですかね。

つづく。

2011年7月4日月曜日

フィールド調査in ESP(1)

2度目の無人島、ガラパゴス諸島最東端のエスパニョラ島へ行こう!

というわけで、船中泊・キャンプという選択肢もありますが、手続きが面倒だし今度は距離もそこそこ近いので少々無理をしてスピードボートで日帰りです。

実は、なぜかダーウィン研の研究者の間には「正確な地図」というものが存在せず、皆、達人の勘に頼っている感じがします。達人は経験と勘によって場所を把握するので地図を見ず(というか地図を読まない、読めないのだと思われる)、研究者は達人を連れているので地図を見ません(GPSは取っているという矛盾…)。まあ地図と言っても何も目印のない広大な溶岩台地なので、読みようがない、とも言います…よほど細かくcontourが入っていれば地形くらいはわかりそうなものですが、ここの溶岩は流動性に富みなだらかな地形を創るので、残念ながら20m間隔ではとても反映しません。
↓これが最も正確な地図…。

というわけで、どんなに頑張って情報集めをしても、実際に行ってみるまではどういう場所なのかわからないという状況。。。一応経験者に念入りに訊いてはいるのですが…;

5時にサンタクルスを出発した船は、波にもまれて3時間、エスパニョラ島へ近づきました。もちろんその間意識はありません。船酔いすれば仕事に差し障るし、酔い止めは平衡感覚をマヒさせるのでやっぱり仕事に差し障ります。ようやく意識を取り戻すと、キャップは沖合に船を止め、ノバリノに何か説明しています…
「あれが、Cerro XX、あっちがPunta YY…」
あれ。ノバリノは達人なのに、キャップの方がよく知ってるの?

…そうか、なるほど。
海を航海して目的地に達するには、陸の目印が必要です。だから海から見える地形を、その名称をだれよりよく知っている。
地形を読み、風を読み、波を読む。ある意味、一番自然のことを知っているのは、「海の男」なのかもしれません。


上陸大作戦

エスパニョラ島の北西に浮かぶIsolote Gardner。ここが最初の上陸地点です。でも砂浜らしいところはどこにもなく、やっぱり岩場にドライランディング。波で船は揺れまくり、岩は濡れてて滑ります。どうにかこうにか飛び移るのですが、何度やっても慣れないし、危なくて困ります。捻挫しないのはひとえに靴のおかげなのですが、滑って脛をぶつけることもしばしば……それでバランスを崩すと海に落ちるという算段。しかも容赦なく照りつける太陽のせいか、それとも船の揺れで平衡感覚がなくなっているせいか、朦朧として足元がおぼつかない…かなり危険です。

朝から先が思いやられます。。。

つづく。