2011年10月30日日曜日

生物多様性保全の意味

気が付けばあっという間に10月も終わり、帰国して2か月が経ちました。日本での日常はいろいろとありすぎて、もう5年くらい経ってしまったような気になっています。
先日、ありがたいことに某新聞社から取材を受けました。その応答の中で、自分でも気づかなかったこと、この経験がどのように自分自身に影響を与えたのかということを再考することができ、とてもためになりました。記憶が薄れないうちにいろいろな方にしゃべり、その中でまだ気づいていないことを発掘できたらと思います。

さて、先月書くと言ってそのままになってしまっていたこと…

昨年、愛知で行われた生物多様性年の国際会議を機に、「生物多様性」という言葉が(中身はともかく)社会的に認知されるようになったような気がします。私は以前から生物多様性の話を授業などでも話していました。その中で学生から、多様性の意義なんて考えたこともなかった、この話を聞いてよかった、という感想を受けていました。しかし、生物学的に見た多様性の意義というのは説明するのが難しく、日常生活に直結させることでしか正当化できてないということを感じていました。よく聞くのは、「人間の役に立つ植物が、その効果を検証する前に絶滅したら困る」とか「人間にとって快適な環境を維持するために重要だ」ということです。たしかに、それまでそんなことを考えたこともなかった人にとっては、自分の生活にどう関係するのかというのはわかりやすいし重要な切り口だと思います。でも。

ガラパゴスで1年生活してみて、わかったこと。
個別の生き物を見て、イイと思う。
どうやってここに来たのか、どんな性質をもっているのか、どのように進化してきたのか、その生きざまは興味深い。
そして限られた空間の中ではなく、彼らの生きる自然の姿こそが、美しくておもしろい。

ぶつかりそうに飛び出してくる、愛嬌のあるフィンチ。
人目を気にせず道路の真ん中で昼寝するイグアナ。
悠然と飛び回るグンカンドリと、よちよち歩きのペリカン。

彼らの自然に生きる姿、そのつながりが、地球上に生きる生物の真の姿であり、輝く命そのもの。
だからそのすべてを包含している自然がいとおしい。
―これが、ある種の生物を「守る」のではなく、生態系全体を「保全する」本当の意義なのだと思う。

役に立つかどうかなんて、本当はどうでもいいんだ。
そこに命のつながりがあり、絶妙なバランスの上で成り立つこの地球上の生物同士のつながりが、ただただ面白くて、美しくて、素敵なのだと。
それを見て楽しむことが、人間として心豊かに生きられる。それだけでいいじゃない?


さて、他にもネタとしてはあれこれあったのですが、この際、いつ更新できるかわからないこのブログはここでいったん終了して、来年、別の形でみなさまにお届けできる…かもしれません?
乞うご期待!

今後の動向については、研究室HPhttp://home.f00.itscom.net/kuralab/)へ移行します。

それでは、ちゃおちゃお~♪

2011年9月16日金曜日

日本にて

あっという間に半月が経過しました。
ゆっくり社会復帰リハビリ…と思っていた私が甘かった。集中講義から昨日ようやく開放されましたが、この前まで私の周りにはアシカやペンギンがいたのに、今は毎朝ヒトヒトヒト…なぜ皆こんなに殺気立っているのか、まったく理解できません。カラスやスズメすら、せわしなく感じてしまいます。ああ、フィンチは可愛かったなぁ。。。

せめてちょっとした挨拶が「Hola!」だったら、他人でももっと気軽に挨拶できるんじゃないのかな?と思う今日この頃。

多様性保全の話を書こうと思っていたんです。
でも明日から学会が2連続なのです。
今月中にもう一度、このブログを更新しますので、続きはその時に。

2011年8月31日水曜日

では帰ります。

1年の海外派遣期間ももう終わり、日本へ帰る時がやってきました。

この1年は、近年になく長~~~い1年でした。
いつもの日常で毎日同じことをしながら過ごしていると、時間がたつのが早く感じられます。子どものころの一年がとても長かったのは、毎日が冒険だったからなのでしょう。これまで「人生に対する1年の割合が違うから」と納得していましたが、そうではなくて、新しいことがたくさんあって、感じることもたくさんあるからだったのですね。この歳になってこんなことに気付けるのは奇跡かもしれません。だって普通は日常生活を離れることなんてできないですから。
わお、おっきいね!
毎日たくさんの刺激をくれた、ガラパゴス。とてもとても大変で苦労の連続でキツくて、でもそんなことはさっぱり忘れるほど素敵な場所でした。

元はと言えば上司の「どこか行きたいとこないの?」という問いかけに対して「一生に一度行ってみたい」という意味で口に出したガラパゴスへ、ダーウィン研究所の客員研究員という立派な身分で、こんなにも長く、深くかかわることになるなんて思ってもみませんでした。その決断を後押ししてくださった萩谷先生、ガラパゴスでの研究に関してご助言いただいた長崎大学名誉教授の伊藤秀三先生、各種手続きでお世話になった日本ガラパゴスの会の奥野さん、そしてこの海外研修の出資元である学校法人五島育英会には、深く感謝申し上げます。

そしてこちらでお世話になった皆様、日本で応援してくださっていた皆様、本当にどうもありがとうございました。Muchas gracias por su bondad en particular Patty & Wacho, Sonia, Roby, Eddy y Martha. 皆様の応援のおかげで、時に折れそうになる心が支えられました。また通常でもパンク寸前の仕事量をこなしている所属部署の皆様にはご迷惑をおかけしました。1年もの間、海外研修に快く送り出してくださったことに深く感謝いたします。私の無謀な挑戦に、常に理解、協力してくれた夫、両親には感謝の言葉もありません。これから孝行しますので(!?)許してください(笑)。

さて、しかしこれからが正念場です。ガラパゴスで研究を行うためには様々な規定があることは以前に書きましたが、その「約束」が守れないと先はありません。これからまた、気を引き締めてやっていこうと思います。

では次は日本でお会いしましょう。まだ大事なことを書ききれていないので、続きはまた日本で。
ちゃおちゃお~。
何でそんな色してるの?

「お魚、ちょーだい」「ダメ。」

夕暮れのフラメンコ
この美しい自然が、いつまでも美しいままでいられますように。

Kaoruko Y. Kurata
en Isla Galapagos. 31 de agosto 2011

2011年8月27日土曜日

再・フィールド調査in ISA(2)

朝食をとり、出かける段になって、私はどうしても彼らを信用することができませんでした。もう1種5角形の小型のホオズキをノバリノがきちんと認識していないことが分かっていた上に、昨日のSNでのサンプリングの様子、気にしないふりをしてましたがこれまでの一連の様子から信用が落ちたというか…。仕事面でというより、もっと根本的な人間性の部分で…これまで気持ちよく仕事が遂行できればそれだけで構わないと我慢してきたわけですが、馬鹿にすんのもいい加減にしとけよ、とまで思い始めるともう修復は困難なわけで…。

とにかく彼が言うことを信用できず、標本に記載されていたポイントへまず行ってみることにします。しかし標本にあったGPSデータを頼りに行ってみても、そこにはただ広大なLava fieldが広がるだけ。どうにか1個体だけ、目当てのものを見つけることができました。
GPSデータで示されている場所。植物の影もない。。。

昼ごはんを食べて午後、街から歩いていける海岸近くまで探しに行きます。途中、短距離でガラッと植生の代わる散策路を通り、ゾウガメブリーディングセンターに到着。そのセンターの駐車場入り口、花壇が手入れされているその脇を見ると…

今日抜いたと思われる、大量のホオズキが!!!こんなところに居たのね!
しかも、よく見ると2種類の種が混生。、、、慌てて拾い集めます。というか、これ固有種ですよー。Native gardenのために固有種抜いちゃだめですよー。

これにてサンプリング終了、持ち出しのための処理をして、翌朝5時半、サンタクルスへ帰還しました。そして最後に、彼は規定の3.2倍の法外なガイド料を吹っかけてきやがりました。(ああすみません、言葉遣いが。)もちろんダーウィン研には苦情を言い、申し送りになったようですが。
¡Nada más!
(この言葉はホント使える。「no more」の意ですが、悪い気分を変えたいときにはこう言ってすべて忘れることにしています。)

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こうしてほぼすべてのサンプルを無事に見つけることができ、一応離島へのサンプリングはこれで終わりということになりました。
小さな無人島へは行ってないけれども、余暇で行ったクルーズも含めればガラパゴス諸島のほぼ全域を網羅しました。一番好きな島はどこ?と聞かれたら、たぶんピンタだろうなあ。あの絶海の美しい円錐形の孤島、特段目立った生物がいない静かな島。珍しい動物を効率的にみるためにクルーズで行ける島とは違う、落ち着きがありました。
あとは行けるならイサベラの北部、行きたいのはやまやまだけどちょっとやそっとでは実行できないフェルナンディナ(観光用ポイントではない場所)、そしてたぶん絶対無理だけどものすごい離れ小島のウォルフ・ダーウィン島にチャンスがあれば行ってみたい(現実的ではない…)。

何はともあれ、無事にフィールド調査を終えることができて、本当に良かったです。
地球の裏側、南米、途上国、治安、衛生、交通、過酷なフィールド…さまざまな要因があって、実は日本を離れる前に無事に帰れないかもしれない覚悟を少しはしていました(保険もかけ替えたし)。でも身辺整理までできていなかったのです。否、あえてしなかったのかもしれません。
ずいぶん昔、友人に「旅行に行くときには無事に帰ってこられるように飲みかけのお茶を残していく」というゲン担ぎを教えてもらい、一度飲みかけの紅茶を残して出かけたことがあるのですが、帰ってきてカビが浮いてたのでそれっきりやめました。別の走り屋の友人は「今日はなんかヤな予感がする」というときには、部屋をきれいに片づけてから走りに行くと話していたことがありました。なので今回は「身辺整理をしないこと」というゲン担ぎを無意識にやっていたのでしょう。あんなガラクタ、残されたら迷惑ですからねぇ(--;)…帰ったら片付けまーす。

私の「お守り」たち。くださった方の気持ちが私を守ってくれたはず。そして溶岩で傷だらけになった指輪、磨きに出さなくちゃ。

感謝すべき神様を持たないので、この世の万物に、フィールドでの無事を感謝します。

<イサベラ採集記・完>

2011年8月24日水曜日

再・フィールド調査in ISA(1)

いやー、今回もキツかったなーーー。。。
ほんとは毎度思っているのですが、過去になると、また文書を推敲しているうちに素晴らしい思い出だけで埋め尽くされていき、結局ブログに上がることのほとんどない「キツカッタ」の文字。それにこんなチャンスは一生に一度あるかないか、なんにせよ貴重であることに変わりはないので最終的には「素晴らしい」に行きつくわけですが、でも最後のフィールドワーク、1つくらい言ってもバチは当たらないよね。

今回は、再度のイサベラ。ほとんどのサンプルは入手済みだったので、目的は明確です。シエラネグラ火山の南斜面にあるPernettyaと、東側にあるはずのホオズキ4種がほしい。でも何しろ火口が広いので、片道約10キロを1日で行けるのかどうか…無謀とは知りつつ、ノバリノが2時間で行けるよ(絶対嘘)というので、1日の行程で出発しました。

標高1000mの登山口nに着いた時にはよく晴れて暑く雨の心配はありませんでした。まずは南斜面のPernettyaを目指して歩きます。しばらくすると、10月に行ったときには探せなかった、サンタクルスではたった8個体しか見つけられなかった幻のPernettyaが、斜面が赤く染まるほどに実をつけているところを発見。

Muy bien!赤いじゅうたんに突っ伏したくなるほどです。(でも葉っぱが痛い)

さて、いったん引き返して今度は東斜面へ向かう途中で、山裾から上がってきた雲から雨が落ちてきました。まあ雨季なので少々の雨は覚悟済みだったのですが、こりゃ覚悟を超えるなぁ…。

雨が降ってきたとき、その中で仕事をしなくてはならないとき、段階に応じていろいろ思うことがあります。
まずは雨に濡れないように最善の策をとる。
ちょっと強くなってきたら、できるだけ濡れないように努力する。
もっと強くなったら、濡らしてはいけないものを優先的に、とにかくがんばる。
それでもだめなら、諦める。
さらにそれを超えると、怒りが湧いてくる、楽しくなってくる、最後に限界だと思う。

…今回の雨は、最後の段階まで行きました。
こんなに濡れたのは、生涯初めてかもしれない…

東側は前回10月の調査でも歩き、そのころはカラッカラに乾燥して、自分が蹴った地面からの砂ぼこりで息もできず前も見えず散々だった場所です。片道7キロあるので、この時間からじゃ最終目的地までは無理だなと思いながらのスタート。ノバリノとアデラは雨具を持っておらず(つーかなんでフィールド行くのにそんな基本的なことができてないんですか…)二人で1枚のごみ袋を傘にして、前を歩きます。それにしても乾季にあれだけもうもうとなっていた砂は、いったいどこへ流れていったのでしょう。道中、川、いや滝のようです。

しばらく黙々と歩くと、ホオズキが見えてきました。よし、もうここで採って帰ろう。と思い彼らに声をかけるも、雨音で、二人羽織で前を歩く彼らに声が届きません。彼らはサンプルを探すことなど既に忘れて、ただひたすら前に進むことだけしか見えていないようです。ついてきてなければそのうち気づくかなと思い、一人でサンプリングを開始。それにしてもひどすぎる雨で、写真もGPSも、荷物の中から鋏を出すことすら諦めて、ただ後で処理できるように大ぶりな枝を1個体1本むしりとる。あんなに雑なサンプリングも生涯初です。

そして無理矢理サンプリングを終わらせても、彼らは一向に気づく気配もなく、姿は見えません。仕方ないので追いかけることにします(だから同行者に注意を払うのはフィールドの基本…ブツブツ)。

今度はすぐ真横で雷が鳴りだしました。一瞬だけ、濡れるのと落ちるのとどっちがいいだろう?と考えたのですが、これは迷う余地ないですね。もう一眼レフさえ壊れるの覚悟で傘をたたみました。肩をたたく雨の音がやけに大きく聞こえます。カッパを着ていても荷物優先だし、もう濡れているので寒くて思考がコワレ気味になります。もちろん足元はとっくの昔に浸水し、トレッキングシューズは中に水を入れて歩いているような状態になっています。滝のような道で、深みにはまっても気にしてる余裕なんてありません。
「雨あめ降れふれ母さんが~♪…蛇の目もさせない、うれしくない!」「♪ぴちぴちちゃぷちゃぷ、いやジャブジャブやん!」(この辺りが「楽しくなってきた」段階)

ようやく私がいないことに気づいた二人が途中で止まっているところへ追いつき、半ばキレ気味に「見つかったから帰るよ!」といったその時…ほんのほんの一瞬だけ雨がやみ、シエラネグラのクレーターを拝むこともできました。地熱が高いところが濡れたので、湯気が上がっています。これがこの1日のご褒美かなぁ?

そして再び降り出す豪雨の中、来た道を引き返し、無事に登山口までたどり着きました。途中でアホな思考すら停止する(=限界の状態)までに陥り、自分をlostしないためにただひたすら歩数を数えながらの、長く寒い道のりでした。(ほんとによく覚えていない)
登山口で迎えが来るのを待っている間も、濡れて吹きさらしの状態で、しかも標高も高いので寒くて死にそう。帰りの未舗装道路は滝のように流れる雨水で削られ、掴まっていても天井で頭を打つくらい。でもそれを防ぐほど、気力も体力も残っていない状態…こうしてフィールド屋は、ますますパワーアップしていくのです。
…フィールド系の研究がやりたい学生さん、心の準備はいいですか?(笑)

明日は海沿いのフィールド予定なのですが、靴など装備一式、とても乾くとは思えない…

つづく。

2011年8月21日日曜日

植物の「時限タイマー」

SCZの東のはずれ、Garrapateroという海岸近くにサンプリングに行った時のこと。
以前アメリカから来ていた学生ケイトが1つサンプルを取ってきてくれていて、しかもGPSデータもあり、前日パティにも様子を聞いて安心して向かった…のに。
No hay

「ざんね~ん」


ダーウィン研の裏のビーチ。
パティが、230分であれとあれがある…と言っていたのに、No hay。ただひたすらソルトブッシュに覆われた溶岩と、踏んずけそうになる程たくさんのイグアナ…だけ。あとは、津波でひっくり返された木やスベリヒユ群落が枯れたあと…。
右下の黒いカタマリは皆ウミイグアナ
時々、わからなくなる。
パティが「2週間前見た」って言ってたのに、影も形もなかったり、ケイトがとってきてくれた緯度経度の場所に行っても、何もなかったり。
Por que
なんか、キツネにつままれてる気分。

ダーウィン研からの帰り道、2週間ほど前から目をつけていたホオズキをサンプリングして帰ろうと、新しく宅地造成している区画へ寄り道しました。まあある意味いつでもとれるからいーや、って思ってたところ。
ところが。
あったはずの場所は、トマトやゴーヤに覆い尽くされて、影も形もありません。
よく見ると、カラカラに枯れ果てたホオズキの残骸が、散らばっていました…

…もしかすると…どこもこんな感じなのかも。
ケイトがとってきてくれた集団は、今は他の植物に覆い尽くされている、のかも。
パティがいつかみた集団も、今はないのかも。

そこで新たな疑問。
なんでホオズキはこんなに急激に枯れてしまうの?
まるでタイマーがついてるみたい。「芽が出て60日で枯れる」みたいな。

同じナス科のアメリカハダカホウズキ(外来種)は、雨季だろうがガルア季だろうが、そこら中に生えています。よく見間違えます。なぜホオズキは、たった1週間の違いで影も形もなくなってしまうのでしょう???フロレアナでも危なかったんです。固有種の方が既に枯れかけていて。でも広域種はまだ青々としていた。そんなに顕著な季節依存にはいったいどんな意味があるのか?なぜそんなに厳密なのか?
いやもしかするとこの現象は季節依存ではないのかもしれない。なぜなら枯れ果てた近くに、まだこれから花をつけそうな株があったりするから。

じゃ、植物の時限タイマーは、何のため?
1年草であれば余計に、ちょっとくらい無理してもいい環境のうちは少しくらい長生きしたほうが有利だと思うのだけど。というか、環境は良い状態なのにタイマーだけが理由で枯れるということがよくわからない。普通枯れる理由は「気温が下がって生理活性が下がるから枯れた方がエネルギー代謝が有利」とかいうことだと思うんだけど。不利にならないのに枯れる理由がわからん…。不利になって枯れるなら一斉枯死する=それが季節性ということだと思うんだけど、だったらやっぱり季節依存じゃないんだろうな。

…しかしどうやって検証すればいいのかわからない…爆。

2011年8月17日水曜日

フィールド調査in SAN(3)

午後。
もうちょっと北側のBucaneloに上陸します。ここはパティーからも難しいと聞いたけど、、、?でもWetなのにそんなに大変なのかなぁ?これまでのWetの経験では、岩場にDryよりもずっと簡単だったけど?
ノバリノを見ると、足元をWet用に準備するだけでなく、ありとあらゆる荷物全部を、検疫用のデカいビニル袋に詰めています。ん?何が起こるんですか、これから?…しょうがないので彼に倣って靴もカメラも、みんな詰め込みます(なので決死のランディングの様子は、記録に残りませんでした)。

そしてパンガへのり、いざ浜辺へ。遠浅なのか、真っ黒な砂が寄せたり返したりしている波打ち際までなかなか近づけません。どうするのかなあ、と思ったその時、
Ahora!
えええええっ?絶対どう見てもAhoraじゃないでしょ!と心の中で力いっぱい突っ込むも、ぐずぐずしているとみんなを巻き込んで大事故です。やぶれかぶれというのはああいうこと、後先考えずにとりあえずノバリノに続いて飛び降ります。みんなの荷物を、操縦しながら渡してくれるキャップから必死で受け取り…(なにしろ商売道具一式全部入ってるので浸水させるわけにいかない)、波にもまれる前に、そして乗ってきたパンガに轢かれる前に、大急ぎで陸に向かって走れ!

振り返ると、半分座礁してエンジンを砂から引き揚げながら、どうにか方向を変えて海に戻るパンガの姿が。

Oh~。。。
…これ、帰りもですよね。

ま、気を取り直して浜辺で靴を履き、荷物を担いで上がります。辺りは蜘蛛の巣だらけ、しかもこの糸がものすごい丈夫。
…日本の蜘蛛の糸では天国まで登れないけど、ここのなら登れるなぁ…(「蜘蛛の糸」芥川龍之介より妄想)
でもまあ、とてつもなく不快なので、ゴメンナサイといいながら棒を振り回して道を確保します。上空にはガラパゴスノスリが舞い、目の前にはガラパゴスフライキャッチャー。相変わらず無人島の小鳥は手に乗るくらいまで近くにやってきて、ほんとにかわいい。

ここではアデラがとてもお手柄でした。すでに全種類のサンプルが入手できないことをほぼ確信していた私は、やる気が70Off、それでも彼女は地味ぃ~に探して、地味ぃ~に見つけて地味ぃ~に教えてくれます。(帰ってサンプル処理をしているときに、さらに新たな発見があり、彼女のお手柄度はますますUp!)おかげで5角の固有Physalisも取れ、3時になったので撤収することにしました。…あのランディングの逆で。(マジ危ないあれは…)

波打ち際で方向転換する際にパンガが裏返し寸前になったり、キャップも含め全員が一度下りた状態でパンガが波で持っていかれたり、それを支えるロープを握っていた人たちが引きずられたり、パンガの底を踏み抜きそうになったり、パンガの中に満水になった海水を手で掻い出したりしながら(なぜ沈まないのだ…)、何も壊さずにフィブラまで戻ることができましたとさ。やれやれ…。

(イメージとしては、松島の松が、サボテンに置き換わった感じ)

さて、サンタクルスへ帰ります。しばらくは沿岸の風景を見ながら、そのうち塩水が飛んでくるようになったので、ちょっと休憩寝ようかな…と横になったとたん。
ドン!バン!ガタン!おお、船が飛んだり跳ねたりしてる。
そのうち時々エンジン音が消えるようになりました。エンジン音が消えるというのは、船が次の瞬間ジャンプすることを意味しています。ドカン!考えてみればここからサンタクルスへはずっと逆波。このまま着くまでこんな感じ?まさかな…うとうとしようにも、身体が宙に浮きます。したたかに打ち付けられたり、横Gまでかかるようになって…でも起きるもんか。起き上がった瞬間に酔うのはわかりきっている。そのまま3時間45分。これまでのスピードボート片道にかかる時間では最長記録。たぶんジャンプのひどさも最高記録。ようやくサンタクルスの港へ戻ってきました…体中妙に力が入っていて頭まで痛くなったけど、とりあえず生きててよかった。
翌朝、筋肉痛で階段が下りられなかったのは言うまでもない…

サンプリングの翌日は恒例、山のようなサンプルを前に悪戦苦闘するわけですが、毎度思い出すのは、やはりドクター時代にサンプルがいっぱい取れてゲッソリしている私に「商売繁盛、ええこっちゃ♪」といいながらにこやかにしているボスの顔…「ええこっちゃ」とつぶやきながら、今も変わらずやっております。あの日々があって、今の私がある。いまさらですがこの場を借りて、瀬戸口先生(@京都大学)、ほんとにありがとうございましたm(_ _)m

<サンチャゴ採集記・完>

2011年8月14日日曜日

フィールド調査in SAN(2)

8時。錨を下ろす音で目が覚めます。外にはサンチャゴに特有の、溶岩の流れた跡、切り立った崖、荒々しい風景。

ボートで漂いながらの朝食にもだいぶ慣れました。
そしていよいよ上陸大作戦。今回もまたドライを試みるが…エスパニョラよりもっと危険。なぜゴムボートがパンクしないのか、謎。(でも慣れてしまったので冷静…)

ようやくノバリノに引っ張り上げられて上陸すると、そこはまたどこまでも真っ黒な溶岩流の跡。なんかパホエホエをみていると興奮します。地球の息吹が大地を覆い尽くした感じ…

茂みに向かってすぐに2種を確保し、溶岩流方面へ向かいます。荒涼とした大地…3月のような殺人的な日射がないので生きていられますが、これで炎天下だったらAsado(肉を炙った料理)になってしまいそう。岩の隙間にLava de cactusが点在しています。その上に、ちょこんと乗ったテントウムシ(固有種)。
こんなところにもいろいろな命が生きているのだなあ。でもなんでわざわざこんな痛いところに来てるんだろう、この子…この光景はまさに「針のムシロ」って感じですよねえ。
…ドクターの学生の時、ボスが私の学位論文審査から帰ってきて言った一言「いやー、針のムシロだったよ」…を思い出してしまいます。スミマセン、出来の悪い弟子で。。。こんな感じだったのだろうなぁ。

真っ黒い溶岩流の真ん中に、ぽつんと2つ、まっかな丘が。Cerro Rojo、言葉通り「赤い丘」ですね。

ここをよけて黒い溶岩が流れ去ったのか、風化の度合い、植物の生え方も全く違います。ここは国立公園の中でも特に保全地域なのでフェンスが張られています。このフェンスの周りに目的のものがあると聞いていたのですが、見つからない。ぐるっと回ってみたりするも見つからないので、あきらめて船へ戻ります。

それにしてもとにかく溶岩は歩きにくいんですよね。ノバリノは遠くから「そこに足置いちゃダメ!」と叫びます。足元をみるとクリフになっており、踏み抜きでもしたらバランスを崩して周囲のガリガリの溶岩に頭をぶつけて…あの、最初にロビーの部屋で見せられた写真のような、ヘリコプターが必要なくらいの怪我になるのは必至。脅しじゃなかったんですね。Oh~、、、ノバリノは経験からなのでしょう、とにかく判断が早くて助けられます。

つづく。

2011年8月11日木曜日

フィールド調査in SAN(1)

フィールド調査、ラストスパートです。

特に無人島へ調査に行く前…
とても緊張します。そして眠れなくなります。とんでもなく体力を使うのがわかっているのに。
暑さと炎天下を想像するだけでストレス。0mから500m程度まで登ることを思うだけでストレス。これだけ手間暇金かけてサンプルが無事取れるか心配なのもストレス。取れたらとれたでその大量のサンプルを処理しなければならないと思うだけでストレス。
朝早いので早く寝ようとしても、あれこれ考えて眠れなくなるんです。
一番の心配事は、やはり「サンプルが無事に見つからなかったらどうしよう」。高いお金をかけて、めんどくさい手続きを経て、他の人の時間まで使って行くのに、サンプルが見つからないことへの強迫観念なのでしょう。

今日、検疫の終わった荷物を車に積んで家へ帰るとき、いつもセキュリティで面倒見てくれてるロビーがいいました。
Have a nice trip, enjoy!
…そっか。Enjoyでいいんだ。
普通にはいくことのできない無人島を、楽しむことにしよう。
今日は夕飯後には、仕事関係の物は見ないで、さっさと寝よう。

発想の転換、重要ですよね…

というわけで早起きのため早寝した夜、夜半…
ざああああーーーーーーっ・・・・・・・・・・
豪雨に目が覚める。そして眠れなくなる。せっかく緊張を解いて、どうにか寝付いたというのに。

結局起きるべき時間までずっと激しいまま雨は降り続きました。あの乾燥した島々を知っている身としては、いったいどこにこんな量の水があったのだというほどに…
そうこうしてまだ暗い450分、約束通り車で迎えに来てくれたアデラと港まで行き、ノバリノと合流。いよいよ3島目の無人島、サンチャゴ(Santiago)へ向けて出発です。約800$でチャーターしたボートに乗って、おやすみなさい。。。

つづく。

2011年8月10日水曜日

10年越しの…

半年くらい前からわかってはいたのですが、先日ちょっとした事件?がありました。
実は私、とある事情で大学院を一度中退しているのですが、そのころお世話になっていたプロジェクトリーダーの北山先生(京都大学)と指導教官だった蔵治先生(東京大学)、東大演習林での調査の際にお世話になっていた田中さん(東京大学)と、なんと10年ぶりに、しかも地球の裏側で、再会を果たしてしまったのです。
昔はそれこそプロの研究者とド素人の学生という立場でしたしいろいろとご迷惑をおかけしたことだらけでしたが、さすがにあれから十年、みんなそれぞれの歳を重ねました。今回北山先生とはガラパゴスのこと、先生がフィールドとされているハワイやボルネオのこともお聞きすることができ、同じくその周辺で実習を組み立てている身としてはとても興味深くためになるお話でした。また蔵治先生と田中さんとは今の仕事の話や懐かしい昔話に花が咲きました。

日本で会う機会なんて十年なかったのに、巡りあわせとは不思議なものです。結局この業界、どこかで繋がるようにできているのでしょうねえ…。「だから悪いことはできませんねえ」と、みんなで笑いました。

蔵治先生に師事していた1年間は、今振り返っても貴重な期間でした。森林水文学という分野で、環境(特に気候、水の循環)の測り方、考え方を学びました。これは植物の進化を考える上で重要な要因でもあります。この視点が持てたことで、今も自分の研究に生かすことができています。人生に無駄なことなんて何もない。今だから、断言できます。
先生たちの研究は全地球的規模の気候と植生に関係することのようで、とてもスケールの大きなものです。今回の調査が順調にいくことを祈ります。

2011年8月9日火曜日

街での生活(5)物価の話

定価と売価
日本にいると、日用品でも食料品でも「どこの店が一番安い」という感覚で買い物をしますよね。定価なんかでは買わない、というのが普通ではないでしょうか。各お店も、お客獲得のために一円でも安く販売しようとしているはずです。
ここガラパゴスでは、このような表示をよく見かけます。
(文字は読めないですね…)PVP(定価).2.99$、売値3.50$

…そう、なんと売値は定価よりも「高い」んです。

それもそのはず、、、
ここに持ってくるまでの輸送費が莫大にかかっているからです。軽いけど体積は大きいものであればあるほど、定価に上乗せされている輸送費が高くなっているような気がします(ex.ロールペーパー、ポテトチップなど)
定価より高いモノなんて、日本では見かけないいので、なかなか衝撃的な発見でした。

物資が大陸からやってきた
ここでは、ふと気づいてなくなりかけているものを買いに行っても、ときどきどこにもなかったりします。
今日は最近ようやく店に並んだコーラを4リットル買いに出かけました。大陸からは34週に一度程度物資が届くので、タイミングよく買わないとコーラ1本買えなくなることがあります。スーパーでは約1か月たった野菜が腐りかけて並んでいたりします。
ちなみに日本ではあまり炭酸系飲料は飲まないのですが、やはり海外に居てもっとも安全で確実な飲み物っていうのはコーラだと思うんですよね。いろいろ呼び方はありますが、南米では「Coca」が一番通じます。「Cola」「Coke」はイマイチ。コカって…なんか麻薬やってるみたいですが(ペルーではコカ茶が一般的に飲まれている)。

ここではコーラは原則として2リットル入りのリターナブル瓶で売っているので、買いに行くときに瓶を持っていかないとデポジットでかなり高くなってしまします。でも持って行っても品物がないこともあるので、とても不便です…。

2011年8月6日土曜日

再・フィールド調査in FLO

さて、2度目のフロレアナ。目的はただ一つ、ホオズキです。前回行ったときに枯れ果てたものを見つけていたので、すぐにサンプルは見つかる予定です。
いつもに増して大混乱(突然「今日からこう決まった」とか言ってくるんですよ、国立公園が…)ののち、フロレアナに降り立ち、宿と食事と水の確保(100人しかいない村なので食事できるところは貴重。同行者を飢え死にさせないのも調査責任者の仕事らしい。何のためにアシスタントを雇っているのだろう…)をして、ぶらりと採集にでかけました。

すると、、、私たちのあとを、とことことくっついてくる人が。
一人が遅れると、立ち止まって振り返り、待っていてくれます。なんて賢いんだ、このアシスタントは。

ホオズキ考
しばらく歩くうち、ふとしたことに気づきました。
10角形の在来種agulataは今が盛り、とばかりによく茂り花をつけ実もごろごろなっていますが、5角形の固有種galapagoensisは葉っぱは虫に食われてほぼ全滅、花は終わって実がなって、しかも果実も虫に食われて空の袋だけ。そして本体はすでに枯れかけている…という状況。
左:Physalis angulata(在来種)、右:P. galapagoensis(固有種)

つまり;
雨季になって先に葉が展開するのはgalapagoensis、するとちょうど雨季になって一気に発生した虫によって葉は食害に遭い壊滅状態に陥る。せっかくつけた実も、中身をほとんど食われてしまう。少し後で葉を展開するangulataは、すでに昆虫のピークを過ぎた後か、他の植物もたくさん茂って食料が豊富になってから葉を茂らせ、実もちゃんと成熟するまで成長させることができる。
ではgalapagoensisがなぜそんなリスクを冒しながらも早い段階で葉を展開しなければならないのかというと、たぶん他のものが茂り始めてしまうと発芽・成長ができないから。光合成能力が低い?光発芽種子?それと同時に、同所的に生えているgalapagoensisangulataは、こうした季節的棲み分けによって、交雑を免れているのかもしれない。花や果実の「中間型」は存在しなかったような気がする。だから今はそんなに深刻に個体数が減少しているように見えないけれど、外来種が入り込んでこのサイクルが崩れると、あっという間にgalapagoensisは生態的においやられてしまうことが予測できる。
…とまあ、人が住んでいる島はさすがに無人島ほど過酷ではない(じゃなくて逆。過酷だから無人島であり続けた)ので、フィールドで現物を見ながらあれこれ考えられて良いです。

物価と競争原理
さて、、、しかし人口100人の島というのは長閑でいいのですが、うんざりすることもあります。
人口が少ない、来る人も少ない、商売も限られている、物資も限られている、となるとどうしても競争原理が働かないのです…サンタクルスなら10$で泊まれそうな宿が1140$、サンタクルスでは昼ごはん4$もあれば食べられるようなものが10$、ペットボトル500mlの水が1$(サンタクルスではレストランで注文して1$かな)、まあここまではちょっと我慢して許します。物資の輸送は大変だしね。
でも、ここから先が許せない。
同じ店で同じものを買ったとき、会計する人によって値段が違う。おばちゃんに水3本で3$と言われていたので払っていたら、最後に応対したお姉さんのときは2$だった!
なんか、信用できないっていうか。もう絶対来てやるもんか、と思うんだけど、そこしか店がないからしょうがない。これがとても悔しいのです。
競争原理万歳!資本主義万歳!

そんなこんななフロレアナ…これにて完了!

2011年8月4日木曜日

規約変更!?

ついこの前「学名はラテン語」といったばかりのところで、大きなニュースがありました。7月下旬メルボルンで開催されたIBCで、植物学分野では今後新種記載の際にラテン語である必要がなくなり、電子書籍での発表でもOK、という決定がなされたのです。これは画期的、と思うと同時に、ちょっとした心配があったりします。
今人為的影響により地球史上もっとも絶滅のスピードが速い時代であると言われています。そのため新種記載をできる限りスムーズにする必要があるとの見解ですが、ラテン語ではかなり努力をしないと新種記載ができないのに対して英語でも可能、電子書籍でも可能、となると、その情報の信頼性が下がる気がするのです。未知の種に自分が名前を付けたいというのは分類屋なら誰でも思うことでしょうから、この過程が容易になったということは情報の氾濫を招くのではないかと思うのです…とはいえ、ラテン語に振り回されずに原記載論文が簡単に読めるというのは大きなメリットかもしれません。
まあ、ラテン語の記載をじみぃ―に読むのも、実は好きだったりするんですがね。。。古典的な自然史が好きな私としては、複雑な気分です。

↓植物を命名するときにはこのような本を引いて、規則にのっとった命名が必要です。(画像はAmzonより)

2011年7月30日土曜日

オープンキャンパス

7月30・31日は本学のオープンキャンパスです。
ガラパゴス諸島へ実習できた学生さんが、自然科学科フィールド系のブースにてガラパゴスについて説明&このブログに載せているすべての写真のスライドショーを行っていますので、ぜひ見にきてください(^-^) 

フィールド系の研究に興味のある学生さんと、来年春に大学でお会いできるのが楽しみです。

2011年7月27日水曜日

Estoy en el Herbario(4)

3回シリーズでこの話を終わるつもりでいたのですが、急遽所変わって日本の話をします。

標本庫には、自然史学者の宝と夢が詰まっている。という話をしました。
どこの標本庫にも、その地域独自の宝と夢が詰まっています。そしてそこは過去から現在までの地球環境を保存しているという意味で、人類全体にとっての財産であるといえます。

しかし東日本大震災ではそんな標本庫にも容赦なく津波が襲いました。たとえば陸前高田市立博物館では、博物館自体が倒壊、職員は全員死亡か行方不明、当然標本は流失しました。これまでコツコツと50年以上も貯めてきた貴重な標本が一瞬でなくなってしまった…この損失はいかばかりか計り知れません。

4月中旬から岩手県立博物館職員を中心として瓦礫撤去と標本の救出が始まりました。そしてどうにか発掘された標本が、現在全国のネットワークを通して各地の博物館職員の手によって修復されています。標本の状態は潮をかぶっていたり、土砂で埋まっていたりとひどいものが多いのですが、どれもかけがえのない標本です。




濡れて1か月以上も放置されていたので、カビが出たり破損していたり… コンディションに応じて試行錯誤。


→標本レスキュー作業の様子はこちら。
◆ひとはくブログ(兵庫県立人と自然の博物館)



→こうして修復された標本の展示が、各地の博物館で行われています。
◆「津波被害にあった標本を救おう」展(兵庫県立人と自然の博物館)

他にも、本学知識工学部が大学パートナーシップに入会している国立科学博物館(上野)でも常設展の一角で展示が行われています。学芸員課程の科目を履修している学生さん、自然科学科の学生さんにとっては非常に貴重な機会ですので、ぜひ見に行ってください。後期開講の博物館学(3)にも関連します。

このような被災標本のレスキューは世界初。この修復技術の蓄積は、今後の災害への貴重な情報になるはずです。
もしも、ですが、私が大学院生時代の希望通りに博物館に就職していたら…16年前とは違う方法でもまた、災害支援に関われたのではないかと考えさせられました。


さて、ダーウィン研の標本庫も標高0mに建っており、昨年のチリ地震の津波でも今回の地震の津波でも直接の被害はかろうじてなかったものの(職員の公舎や一部の研究棟は被害を受けた)、いつ被災してもおかしくない状況にあります。もしこのガラパゴスの貴重な財産が失われでもしたら…
ここは地震や台風などの自然災害が多くない土地柄なのであまり危機感もないでしょうし、移転はさすがに検討してはもらえないだろうけど、でもこれだけ甚大な被害を受けた日本国から来ている人間としてなんらかの提案だけはやってみようと思います。大事な財産を未来に継承していくことは、この業界で仕事をしている研究者の使命ともいえますから。

最後に…
今回の災害では非常に多くの人命が奪われ、街も壊滅的な被害を受けました。しかし人間だけでなくそこに住む多くの生物たちも、この津波で深刻な被害を受けていることを忘れないでください。海に瓦礫が流れ込み、浅瀬に棲む生物たちは無事に生きていられるでしょうか。陸地の大きな改変の後には外来種がいち早く定着するでしょう。在来種は戻ってこられるのでしょうか。自然環境の回復なしに、人間の真の復興はありえません。なぜなら、人間の生活の基盤は自然にあるからです。今、関係各所は生物多様性を維持・共生しながら復興を目指す方法を模索しています。目先のことも大事ですが、長い目で見てより良い復興がなされることを願っています。

被災された方と被災地の、一刻も早い復興をお祈りいたします。

資料協力:兵庫県立人と自然の博物館 主任研究員 布施静香博士